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にんげんっていいな~岩明均『寄生獣』の解釈・感想~|mickipedia

にんげんっていいな~岩明均『寄生獣』の解釈・感想~

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にんげんって いいな
みんなでなかよく ポチャポチャおふろ
あったかい ふとんで ねむるんだろな

『にんげんっていいな』




連載を終えて十数年たった今でも全く色褪せない名作中の名作『寄生獣』。
最も好きな漫画は何かと聞かれて『寄生獣』をあげる人も非常に多いように感じる。

ところでこの漫画、一体何を主張している漫画なのか。
僕の解釈・感想を述べたいと思う。



目次
■あらすじ
■『寄生獣』のメッセージ
■『寄生獣』の構造
■自然賛歌(人間批判)
■生命賛歌
■人間賛歌
■おわりに



■あらすじ
『寄生獣』の物語自体はSFホラーである。
ある日人間の脳を乗っ取り、人間を捕食するパラサイトが現れる。
パラサイトは徐々に人間社会で脅威的な存在となり、やがてパラサイトと人間との争いが始まる。
そんな中、右腕だけパラサイトに寄生された、いわばパラサイトと人間の中立的な存在である主人公のシンイチ(とその右腕のパラサイト「ミギー」)が様々な困難を乗り越えてパラサイトに立ち向かっていく。
三文にまとめると『寄生獣』はだいたいこのようなあらすじである。


■『寄生獣』のメッセージ
まず結論から言おう。
『寄生獣』のメッセージは何なのか。
読み手によって
「人間社会への批判」
「生命観の新たな視点」
「主人公の成長」
などなど、様々な感想があるとは思う。
しかし僕は『寄生獣』の一番のメッセージは

「人間は素晴らしい」

であると思っている。


■『寄生獣』の構造
『寄生獣』は最終巻の付記で作者の岩明均氏が述べている様に

(予定の巻数を大幅に上回っただけでなく)ストーリー内容にも当初の予定から変更したことがいくつかある



また、それに伴い漫画全体のメッセージも変化していったように見える。
その変化を自分なりに分析すると

自然賛歌(人間批判)

生命賛歌

人間賛歌


ではないかと思っている。


■自然賛歌(人間批判)

「そもそもわたしたちは、理想とする生態系を科学ではなく美意識に基づいて決めている。」
(動物学者ハンス・クルーク)

ウィリアム・ソウルゼンバーグ『捕食者なき世界』



『寄生獣』は以下のようなナレーションで始まる。

地球上の誰かがふと思った
『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか・・・』

地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるだろうか・・・』

誰かが ふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば・・・・・』



上記の様に、『寄生獣』の序盤からは自然賛歌と痛烈な人間批判のメッセージが読み取れる。
ともすれば作者は、人間を次々に捕食するパラサイトの味方なのではないかともとれるシーンも多い。
他にも例えばミギーのこのセリフは印象に残っている人も多いのではないか。

シンイチ・・・
『悪魔』というのを本で調べたが・・・
いちばんそれに近い生物は やはり人間だと思うぞ・・・

人間はあらゆる種類の生物を殺し食っているが
わたしの『仲間』たちが食うのは ほんの1~2種類だ・・・
質素なものさ



さらにパラサイト田村玲子のこの発言。
絵がトラウマレベル。

わたしが人間の脳を奪ったとき
1つの命令がきたぞ・・・
”この「種」を食い殺せ”だ!



寄生獣_田宮


このように作者は少なからず自然賛歌と人間批判をテーマとして『寄生獣』を書き始めたのだが、
途中で作品全体のメッセージの毛色が変わり始める。
その理由を作者は付記でこう述べている。

第一話の冒頭では人類の文明に対する警鐘という雰囲気で、すんなり始められたのだが、
世の大多数の人々が同じようなことを言い始めてくると、今度は妙な気になってくる。
人と同じことを作品内で復唱するのが何やら気恥ずかしいのだ。
(中略)
かくして第一話の冒頭の言葉は、人間のある種の代表である広川市長が引き継いでくれ、(後略)



当初はナレーションやパラサイトが人間を批判していたのだが、ラスト付近では人間である広川市長に
人間批判・自然賛歌を唱えさせているのだ。
このあたりのねじれ構造も岩明流の巧みな技である。

人間1種の繁栄よりも生物全体を考える!!
そうしてこそ万物の霊長だ!!

正義のためとほざく人間(きさまら)!!
これ以上の正義がどこにあるか!!

(中略)

人間どもこそ地球を蝕む寄生虫!!
いや・・・寄生獣か!



寄生獣_広川


タイトルの秘密の明かし方も秀逸。

しかし作品全体のメッセージが人間批判から逸れたとは言っても、
ラスボスであるパラサイトの後藤にトドメをさしたものがゴミ焼却で生じる産業廃棄物であるあたりは、
作者も環境問題等に決して関心をなくしたわけではないことは伺える。


■生命賛歌

「わからぬ…だが共に生きることはできる!」
(アシタカ)

『もののけ姫』



『寄生獣』は途中から人間批判というよりも、生命の平等性のようなものがメッセージとして浮かび上がってくる。
その語り手は主にミギーであることが多い。

よく聞け!
おまえに生きる権利があるというなら寄生生物(われわれ)にもその権利がある
もっとも「権利」なんていう発想自体人間特有のものだろうがね



そして徐々に、ただ平等であるというよりも生命は互いに寄り添って生きていかなければならないという
「生命賛歌」に近い主張も出始める。
田村玲子のこのセリフが印象的かと。

そして出た結論はこうだ

あわせて1つ

寄生生物と人間は1つの家族だ
我々は人間の「子供」なのだ



最後には主人公シンイチも「生命賛歌」の悟りを開き、単なる自然賛歌や人間批判から『寄生獣』は脱却する。

あいつらはせまい意味じゃ「敵」だったけど
広い意味では「仲間」なんだよなァ

みんな地球(ここ)で生まれてきたんだろう?
そして何かに寄りそい生きた・・・



寄生獣_みんな


こう見ると『寄生獣』は人間と生命の共存、生命の素晴らしさを唱えている漫画と捉えることができるし、
それでも間違ってはいない。

しかし、天邪鬼岩明は「生命賛歌」というレベルでは終わらせない。
ここから一捻り加えることで『寄生獣』を神漫画の域に押し上げている。


■人間賛歌

人間讃歌は“勇気”の讃歌ッ!!人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさ!!いくら強くてもこいつらゾンビは“勇気”を知らん!
(ツェペリ)

『ジョジョの奇妙な冒険』



『寄生獣』が「生命賛歌」の物語であるとしたら、人間を捕食するパラサイトを認めるということなのだろうか。
否、それはいくらなんでもきれいごと過ぎる。
やはり人間が頂点に立つ世界でなければならないのだ。
なぜか。
それはもちろん人間が最も素晴らしいからである。
寄生獣からもよく読めばしっかりと「人間賛歌」のメッセージを受け取ることができる。

寄生獣の「人間賛歌」はシンイチがさんざん迷った挙句、涙を流しながらパラサイト後藤にトドメを刺すシーンに最も表れていると思う。

・・・ごめんよ
きみは悪くなんかない・・・・・・
でも・・・ごめんよ・・・



寄生獣_シンイチ


おそらくこのシーンは僕が今まで読んだ漫画の中で最も衝撃的なものだ。
多くの人を殺したパラサイトにトドメを刺すのに主人公は悲しみの涙を流し懺悔するのだ。
それでいて、きっちりと殺す。
なぜならシンイチにとっての存在価値が「人間>パラサイト」であるからである。
またこのシーンからは「パラサイトを殺すことに涙を流せる、その人間の心がまた素晴らしい」というメッセージも見て取れる。

このシーンをどうするかで作者も非常に迷ったらしいが、迷った結果本当に素晴らしい出来となったと思う。

またトドメの前に、後藤への改心の一撃を食らわせる際にシンイチは以下のように2ページに渡り非常に長い葛藤をする。

この鉄の棒・・・
先はどうなってる
尖っているだろうか・・・
いや・・・何も尖ってなくたっていい

あの血は「後藤」の血だったのか?
それとも返り血がこびりついていただけなのか・・・?

ひょっとしてあれがミギーの言っていたプロテクターの「すき間」じゃないのか

この棒でプロテクターの「すき間」を突き刺す?
そんなことできるのか・・・?

いまの「後藤」はあの時と体の形がだいぶ違う
同じ場所に「すき間」があるとどうして言える?

それより何より
あれが「後藤」自身の血だったかどうか・・・

この棒だって使えるだろうか
だたの棒とは限らない
この先に大きな部品でもついていたらどうする?
引き抜くこともできないじゃないか
ただの棒だとしても変に曲がっていたらだめだし
長すぎても短すぎてもだめだ

第一「後藤」のスピードにかなうか?
いまはそっぽを向いていてても
こっちが起きあがればすぐに気づく
ヤツの体に触れる以前におれの体が
2つか3つに切り裂かれ・・・
いや起きあがる前だ
それどころかもう次の瞬間かもしれない

なんだ・・・
ほとんど可能性はゼロに近いじゃないか!



本能のまま行動をするパラサイト後藤に対して、非常に人間らしくあれやこれやと考えるシンイチを本当にうまく描いている。
そして、

・・・でもやらなけりゃ・・・

確実な0(ゼロ)だ!!



決断。
まさに人間のみが持つ「勇気の素晴らしさ」。
からの、

神さま!



きた。
あらゆる生命の中で唯一信仰心を持つ人間。
いや、ここマジで神シーンです。


その他、「人間賛歌」の伏線として田村玲子が人間に殺される際のこのセリフも見逃せない。

・・・この前人間のまねをして・・・・・・
鏡の前で大声で笑ってみた・・・
・・・なかなか気分が良かったぞ・・・



田村玲子は初めは人間のことをただの敵としか認識していなかった。
しかし徐々に人間という生物自体に興味を持ち、パラサイトにはない感情・笑いの素晴らしさなどを感じていったのだ。


そして最終2話でシンイチとミギーにこう言わせて岩明均は「人間賛歌」を締めくくっている。

人間自身を愛さずに地球を愛するなんて結局矛盾してるんだよ



心に余裕(ヒマ)がある生物
なんとすばらしい!!



寄生獣_ミギー



■おわりに
長くなってしまいましたがこんな感じです。
ちなみに寄生獣流の「人間賛歌」は汎用性が高いので日常生活でも使えます。
例えば蚊を殺す時などに

「ごめんよ、君(蚊)は悪くないけど、人間自身のわがままで君を殺させてもらうよ。
それにしても蚊に『ごめんなさい』を言えるのは人間だけだよなぁ。
うわぁ、人間て素晴らしい。
てことなおさらは蚊を殺しても良いよなぁ。」

のように。

まぁこの例は少々ふざけていますが結局こういうことなんだと思います。

次の機会には『寄生獣』のスゴさ・面白さを違う面からも語ってみたいと思います。
ではでは。




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ボルダリングコンペレポート ロストキャニオン「REBELLION+」PageTop小川山という地上の楽園、そして船長退治の失敗

Comment

「寄生獣」の結末が手塚治の名著「鉄腕アトム」の結末に似ているあたりが非常に面白いと思う。

鉄腕アトムの結末について、内田樹は著書「街場の現代思想」に語っている。『鉄腕アトムの全作を貫くテーマは「人間性とは何か?」という問いである。何が人間を人間たらしめているのか?人間性を真に基礎付けているものは何か?(前略)この困難な問いに答えるために、手塚はなんと「人間ならざるもの」を主人公に据えたのである」。「死んだ代理表象」であるところの「成長しないロボット」が彼にとっての造物主=神である天馬博士に「無価値なもの」とレッテルを貼られて棄てられるという、これ以下はない的絶望的状況に投じられたところから手塚は物語を始めた。自分が自分であることの確かさ、自分が自分であることの意味を支えてくれる一切の条件を奪われたものは、その全的喪失から、いったい何を足がかりとして自分が存在することの意味と尊厳を奪還してゆくことができるのか?手塚はそう問いを立てたのである。ふつうの人間に保障されているはずの基礎的なリソースをすべてそぎ落としたあとになお「残るもの」があり、それを拠点として人間がおのれの存在理由を構築できることがあるとすれば、それこそが人間性を担保する「最後のもの」に違いない。それは何か?「アトム大使」の結末で、地球を救うためにアトムはおのれの命を捧げる。だから、それが手塚の結論とみなしてよいと私は思う。(中略)人間を人間たらしめているのは、「世界のすべての人間よりも私は思い責任を負っている」という「有責感の(無根拠な)過剰」である。手塚はそう私たちに教えようとした。』

「寄生獣」では、今まで自分が生残ることしか考えていない(人間ならざるものである)ミギーが、後藤と戦うシーンで、自分の命をを捧げて、新一が生き伸びられるようにするシーンとかが、鉄腕アトムの結末と非常に似てるなぁと思う。

引用ばっかりだし、ぐだぐだな書きっぷりで申し訳ないです。あとおすすめブログ書いてくれてありがと!時間があるときに見ます!

『人間を人間たらしめているのは、「世界のすべての人間よりも私は思い責任を負っている」という「有責感の(無根拠な)過剰」である。』

面白いね、これ。
手塚治虫漫画もそのうち語りたいなぁ。

寄生獣の構成についてなどとても参考になりました。

読んで頂いてありがとうございます!

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